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99台しか作られなかったキャデラック
1984年ごろ都内某所で撮影したこのキャデラック。一見フィフティーズマニアのクルマに見えますが、実は、1959年式のエルドラド・ブロアムという当時の米国自動車産業のカタログモデルでは最も贅を尽くしたクルマでした。
特筆すべきはそのボディ、なんとイタリー製、ピニンファリナが架装したものです。わざわざそのために専用船で米国からピニンファリナの工場へシャシを送り、ボディを架装して米国へ戻してから顧客へ渡していました。装備も現在の車と遜色が無くオールパワー、自動選曲ラジオ、オートクルーズまで備えています。また後席のドアを開けると後部三角窓が下がり、乗降客の邪魔にならないようになるなど。細かい点も興味深いです。 スタイリングは同年式の通常型キャデラックとは微妙に違い、テイルフィンを低く、モールディングを少なく、ウインドシールドも大人しいデザインになっています。形式は4扉HTセダンのみ。このスタイリングは翌年以降のキャディラックにさりげなく採用されるなど、スタイルリーダー的な役割も担っていたようです。いうなれば購入できる試作車という感じもしますね。エンジンは約6400ccのトリプルカーブレータ付きが標準で345HPと言われています。 価格は当時1万3千ドルを少々超えていました。昭和34年だと$1.00@¥360ですから本国価格468万円。6000ドルの普通のキャデラックが700万円もしていた時代です。日本に持ち込めば低く見ても1500万円にはなったでしょう。大卒初任給15000円として給料の1000か月分!現在の価値に換算すると・・・いえ、もうお金の話はやめましょう。 本来59-60年式で合計200台をピニンファリナの工場で架装する契約であったそうですが、1台のシャシを積み下ろしの際に海へ落としてしまい、この59年式は99台生産となり,翌60年式は101台生産しています。 50年代の米車史上最も美しいセダンと呼んでも過言ではないこのエルドラド・ブロアム。現在米国のキャデラッククラブではこの200台の現状をすべて把握すべく調査中です ![]() ナンバー指定の出来ない時代に下2桁が59なのは偶然だけではないように思いますね。 もともとのオーナーは米資系一流企業の米国人社長でした。趣味人だったらしく55-58年ごろの純正SABLEホイールをわざわざ取り寄せたのかどこかで入手したのか装着しています。おそらく当時の日本人は誰も理解してくれなかったことでしょう。 その昔、ピニンファリナの重い本が出版されたので購入したらこのキャデに関する記事が少ないのなんのって。写真もちーさいの1枚、オイオイ「小林彰〇郎の世界」か?なんで日本の自動車趣味は欧州趣味主体思想なの?この件についてはまた書きますね。
by Detachment801
| 2007-06-24 03:49
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