人気ブログランキング | 話題のタグを見る

旧車 パトカー 街の写真、食べ歩きから不要情報までというブログでしたが2014年に横浜に転居直後に癌発症、その後転移が見られ、現在も療養中。そのため内容がクルマに限らず身近なエリアと話題主体になっています。
by Detachment801
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30


渡邊克己 「新宿 1965-97」

1941年盛岡市生まれの24歳の若者が、上京し情熱と度胸を武器に3枚二百円の流しの写真屋になり32年間撮り続けた新宿の姿。所謂社会の闇の部分で働き、生きている男女。
今よりもずっとドギツイ空気の中、そこに写し出される人々の生気溢れる様子が見る者の心を射る。

つい先日インターネットの売買サイトで入手しました。私が5歳の頃から37歳までの時代が写っている、まるで辞書のように分厚い写真集です。数百枚に及ぶ写真の中から数枚紹介します、気になる方はオークションサイトなどで探してみるのも良いかと思います。
渡邊克己 「新宿 1965-97」_f0145372_12123766.jpg



左:ハイウエストのズボン、口髭に細い蝶ネクタイのバーテンさん。後ろはSEEBURGのジュークボックスDS160型(下記画像1)。
右:寿司屋の前のゲイボーイ二人組。コカ・コーラの丸形の電飾看板が懐かしい。
渡邊克己 「新宿 1965-97」_f0145372_12133412.jpg



左:1964年型オペル・レコルト(下記画像2)と思われるクルマの前でポーズをとるヌードスタジオ嬢。
右:着流しでキメた方と背広姿のその筋の方々。右の方の背広は1つボタン、フロントがスクエアカット、ピークラペルの凝ったデザインのもの。
渡邊克己 「新宿 1965-97」_f0145372_12140303.jpg



左:当時はまだまだ仁義を切るポーズが自己主張として多く見られた。近年の若いやくざ者はこれがなかなかできないらしい。
右:つるしではなさそうな生地の凝ったジャケットのスナック店長。後方に現在は使われぬ「トルコ風呂」の文字が見える。
渡邊克己 「新宿 1965-97」_f0145372_12142707.jpg



左:マツダ・ファミリアに腰掛けるヌードスタジオ嬢、当時は二丁目に数十件のヌードスタジオがあったそうだ。70年代に関西から上京して行ってみた人の話によると、料金が2000円などと謳われていても、実際に個室に入ると1枚、また1枚衣服を脱ぐことに加算されていき、1万円を超えるのが普通であったそうだ。
右:大量の一斗缶を回収した廃品回収業者。
渡邊克己 「新宿 1965-97」_f0145372_12145885.jpg
内容を見ていると、1978年以前とそれ以降では新宿の様相が変わっていき、ロックンローラーが現れたり、ツバキハウスのように化粧をした男性カップル、女性カップル等のお客が多いディスコなどが登場し、隠花のような闇の部分が見えにくくなってしまった。

この写真たちを眺めていると、1974年頃にコマ劇場の向かいにあったジョイパックビルのモデルガン店のお手伝いでコマ劇場前の広場でマシンガンを撃つデモンストレーションをやらせてもらったり。高校生になると「Q&B」や「ブラックシープ」などのディスコに年齢を偽って出入りしたこと。怖い先輩に「白馬車」に呼び出されたことなど。数十年前のことが昨日のように思い出されてきました。

渡邊氏は2006年、65歳の若さで病により他界されています。合掌。

画像1、 Seeburg DS160
渡邊克己 「新宿 1965-97」_f0145372_14104994.jpg
画像2、OPEL RECORD 1964
渡邊克己 「新宿 1965-97」_f0145372_14114972.jpg


by Detachment801 | 2021-06-02 12:56
<< 自転車用ウインカー 大磯:クラシックカーイベント(... >>