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NHK総合1 目撃!にっぽん「番地のなかった街で 在日コリアン2世“最後の語り”」 紹介です。
https://www2.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2020-05-17&ch=21&eid=04235&f=4359
目撃!にっぽん「番地のなかった街で 在日コリアン2世“最後の語り”」 日本人の隣人として存在するも、常に差別にさらされ、過酷な状況を生き抜いてきたにもかかわらず、近年は悪質なヘイトスピーチなどもある中、昭和の日本を支えてきた面もある在日コリアン、その1世、2世の方々はすでにご高齢となり、証言も得られないようになりつつある中、貴重な番組と思います。 高度成長期、京都では立ち退きなどで居場所がなくなった在日コリアンは鴨川の河川敷に集落を作るが、不法占拠として水道も電話も整備されず劣悪な環境での生活を強いられ、周りからは「ゼロ番地」と蔑まれながら大変な努力をして水道を通した歴史、その生活は20年前まで続いたという。 自分たちのルーツを頑なに守った一世、また「この国で生きていくには朝鮮学校には行かさへん」と必死に働いて子供たちを日本の学校に通わせた二世、「私韓国人なの」の一言で友人が離れていったという三世、それぞれの複雑な思いに心動かされる 聞き取りを続ける日本人女性、NPO法人の村木さんは、そのような場所で生き抜く強さにひきつけられ、地域の歴史として記録に残しているが、近年のヘイトスピーチには現場にも出向き、「酷いヘイトスピーチ、不特定多数の在日コリアンに対してなんでそこまで言えるのか」と憤りを露にする。 演劇で在日コリアンとの結びつきを表現する日本人の若者は「自分が代表はできないけど、地域の歴史を伝えたい」 チマチョゴリ姿の母の写真を見て初めて見たという三世の娘は村木さんに「韓国人に興味を持ってくれるだけで嬉しい」 パチンコ店以外は就職もことごとく断られ、結婚も思うようにならなかった二世の老人「後悔してない、生まれたあれやから、これからは国籍とか気にせず生きたい」 決してひとくくりにできない皆それぞれの思いがある。 高齢で施設に移った老夫婦の「お互い頑張ったね」の一言に胸が熱くなりました。
by Detachment801
| 2020-05-17 06:03
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