旧車 パトカー 街の写真、食べ歩きから不要情報までというブログでしたが2014年に横浜に転居直後に癌発症、その後転移が見られ、現在も療養中。そのため内容がクルマに限らず身近なエリアと話題主体になっています。
by Detachment801
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舞台 パッチギ! 박치기!

最近は観劇が面白いのだ。

今日は初台にある新国立劇場にて、あの井筒監督の映画「パッチギ!」(2005)を舞台化した公演を見てまいりました

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映画が各賞を総なめして高い評価を得たので内容は知っている方も多いと思いますのであまり多くは書きません、興味があったらDVD借りてみてね。
、舞台は1968年の京都、学生運動やフォークソングが盛んな時代のさなか、日々対立し、喧嘩騒ぎに明け暮れる朝鮮高級学校生徒らと日本の不良学生達を軸に話は進められます。

後の韓流ブームなど想像すらできぬ激しい差別が全く特別なことではなかった時代に、在日朝鮮人の女の子キョンジャ(マナカナのカナ)に恋する普通の日本人高校生コースケ(山本裕典)。彼女に近づきたい一心で朝鮮語を覚え始め、そして加藤和彦率いるフォ-ククルセダースが歌った南北分断を歌にして放送禁止になった歌である「イムジン河」をマスターする。

コースケの彼女を思うひたむきな心に彼女らの住む朝鮮人部落に出入りを認められるが、早速路上でのささやかな宴会は日本の警察の露骨な差別的嫌がらせによりめちゃくちゃにされ、その前途は多難であるのは誰の目にも明らかであった。何も悪くないのにこのとき母が警察官に土下座して謝る姿は、人一倍誇り高き朝鮮民族の心中を思うと、いったいどんなにかはらわたが煮えくり返る思いを繰り返されてきたのかと思いマジつらい思いがします。

映画とストーリーはほぼ同じ、劣悪な環境に住むことを余儀なくされ、生まれ育った国である日本では就職も思うようにはならない中でも精一杯生きる高校生達、当時は北朝鮮が「地上の楽園」と思われていて帰国する事業もまだ盛んであったようで朝鮮高校のメチャ喧嘩が強い番長アンソンも北へ帰ろうと決意しているのだ。

日本に普通に生まれ育った日本人はよく「すでに良くない噂も漏れ聞こえてくる北朝鮮になぜ帰ろうとするのだろう?」との疑問を抱くが、それは彼らが過酷な差別の真っ只中に暮らしていることに気がつかないからである。と、この物語は教えてくれる。

彼の母は言うのだ。「どんなとこだってここよりましだろうよ」・・・と。
この母がすっごくいい味出していました。ポイント高し!

つまり大多数の日本人家庭では、両親が読み書きが不得手で、父はくず鉄商や土工、母はホステス、世に認められるには歌手かプロスポーツ選手ぐらいしかない、自民党がどうの社会党がどうのなんていくら聞いたって選挙の葉書すらゼッタイに来ないなどという暮らしは想像もしない、いや出来ないから、まずスタート地点が違うのだ、
大体先祖代々伝わってきた苗字を変えるのが普通なんていうのも日本が物凄い強力な差別意識に固まった国民と国家であることの証拠である。

そんなことすら日本人は下手すりゃ一生気がつかないで生まれて死んでいくのだ、その基盤を作ったのは自分らの祖父、祖母の代であるのに。

だからこそチェ・ドキの葬式で渡辺哲演じるソンド氏らに「お前らは川で取れた泥シジミを食ったことがあるのか!」「トンネルは誰が掘ったか知ってるのか!」「国会議事堂の大理石はどこから持ち込まれたか知ってるのか!」「帰れ!」とコースケが罵倒されるシーンに深い意味があるわけです。

私はこの舞台が始まってから、イムジン河のメロディーが流れ、片言の朝鮮語が使われ、チマ・チョゴリで朝鮮舞踊が踊られるだけでもう胸が一杯でたまらん。

とうとうキョンジャがコースケに「もしも、もしも、わからないけどね、わたしたちが付き合って、ずっと仲良くしていられて、もしも、結婚、なんてことになったら、朝鮮人になれる?」と聞いたときには涙が止まらず困りました、少なくともいま、このまま暗いままでいて欲しいのにと思いきや、そこで前半終了、休憩になり会場は思いっきり明るくなっちまった、困るってば。

いやいやこんなに涙もろくてどーする、スイッチを切っていたケータイに電源を入れて知人のBLOGでも見て気を紛らさんと・・・。たまたまその知人より電話が入りいろんな話しを聞いて持ち直しました。

そして、コースケは「イムジン河」で素人フォークソング大会に出場することが出来るほどの腕になる。同時期にコースケの親友(山崎育三郎)は学生運動に身を投じる

最後に川原での大乱闘シーンにかぶせてアンソンの彼女桃子の出産、チェドキの葬儀、華やかな朝鮮舞踊などがいっぺんに回想のように入り乱れ、コースケの弾き語るイムジン河が全体を覆うシーンは圧巻!何故か一度は収まった涙がまた止まらない、

無事出産した桃子に北には帰らぬと言うアンソン、
ついにキョンジャに「キョンジャといられるなら朝鮮人になる」と告白するコースケ、そのコースケに「日本人はうそつきだから信じられない」と答えるが、とうとうコースケの腕の中に抱きしめられるキョンジャ、私はもーダメェ!観劇でこんなに感激しちまった。

さいごに出演者数名によるトークショーはぶっつけ本番なのはわかるけど、準備が無さ過ぎてちょっと企画倒れだったぞ。
by Detachment801 | 2009-12-17 01:43 | 韓国・朝鮮文化
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